日本バプテスト 福岡城西キリスト教会・西福岡のぞみキリスト教会

ホーム 教会のご案内 信仰の告白等 牧師室 アクセス・交通 西福岡のぞみ
キリスト伝道所

福岡城西キリスト教会

西福岡のぞみキリスト教会(伝道所)

ホームページの案内

今週の礼拝
今週の聖書のページ
先週のメッセージ(説教)
2月説教者スケジュール(予定含む)
西福岡のぞみキリスト教会(伝道所)とは
西福岡のぞみキリスト教会(伝道所)の沿革と亀井良雄協力牧師の略歴
西福岡のぞみキリスト伝道所へのアクセス


211 主日礼拝
10:30 - 12:00

メッセージ(説教)
亀井良雄協力牧師

メッセージ「イエスの掟」
 
聖書箇所:
新約聖書 
マルコによる福音書12章28節~34節 より

12:28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
12:33 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
12:34 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。

今週の聖書のページ マルコによる福音書12章

◆「ぶどう園と農夫」のたとえ
12:1 イエスは、たとえで彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、垣を巡らし、搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。
12:2 収穫の時になったので、ぶどう園の収穫を受け取るために、僕を農夫たちのところへ送った。
12:3 だが、農夫たちは、この僕を捕まえて袋だたきにし、何も持たせないで帰した。
12:4 そこでまた、他の僕を送ったが、農夫たちはその頭を殴り、侮辱した。
12:5 更に、もう一人を送ったが、今度は殺した。そのほかに多くの僕を送ったが、ある者は殴られ、ある者は殺された。
12:6 まだ一人、愛する息子がいた。『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。
12:7 農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』
12:8 そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。
12:9 さて、このぶどう園の主人は、どうするだろうか。戻って来て農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。
12:10 聖書にこう書いてあるのを読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった。
12:11 これは、主がなさったことで、/わたしたちの目には不思議に見える。』」
12:12 彼らは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。それで、イエスをその場に残して立ち去った。
◆皇帝への税金
12:13 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。
12:14 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」
12:15 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」
12:16 彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、
12:17 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。
◆復活についての問答
12:18 復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスのところへ来て尋ねた。
12:19 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が死に、妻を後に残して子がない場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。
12:20 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、跡継ぎを残さないで死にました。
12:21 次男がその女を妻にしましたが、跡継ぎを残さないで死に、三男も同様でした。
12:22 こうして、七人とも跡継ぎを残しませんでした。最後にその女も死にました。
12:23 復活の時、彼らが復活すると、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」
12:24 イエスは言われた。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。
12:25 死者の中から復活するときには、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。
12:26 死者が復活することについては、モーセの書の『柴』の個所で、神がモーセにどう言われたか、読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。
12:27 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。あなたたちは大変な思い違いをしている。」
◆最も重要な掟
12:28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
12:32 律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
12:33 そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
12:34 イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
◆ダビデの子についての問答
12:35 イエスは神殿の境内で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。
12:36 ダビデ自身が聖霊を受けて言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵を/あなたの足もとに屈服させるときまで」と。』
12:37 このようにダビデ自身がメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」大勢の群衆は、イエスの教えに喜んで耳を傾けた。
◆律法学者を非難する
12:38 イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、
12:39 会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、
12:40 また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」
◆やもめの献金
12:41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。
12:42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。
12:43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。
12:44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」




先週のメッセージ 西福岡のぞみキリスト教会

2017年1月28日(主日礼拝
亀井良雄協力牧師

「信仰からの解放」      
 マルコによる福音書9章14節~24節
9:14 一同がほかの弟子たちのところに来てみると、彼らは大勢の群衆に取り囲まれて、律法学者たちと議論していた。
9:15 群衆は皆、イエスを見つけて非常に驚き、駆け寄って来て挨拶した。
9:16 イエスが、「何を議論しているのか」とお尋ねになると、
9:17 群衆の中のある者が答えた。「先生、息子をおそばに連れて参りました。この子は霊に取りつかれて、ものが言えません。
9:18 霊がこの子に取りつくと、所かまわず地面に引き倒すのです。すると、この子は口から泡を出し、歯ぎしりして体をこわばらせてしまいます。この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに申しましたが、できませんでした。」
9:19 イエスはお答えになった。「なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか。その子をわたしのところに連れて来なさい。」
9:20 人々は息子をイエスのところに連れて来た。霊は、イエスを見ると、すぐにその子を引きつけさせた。その子は地面に倒れ、転び回って泡を吹いた。
9:21 イエスは父親に、「このようになったのは、いつごろからか」とお尋ねになった。父親は言った。「幼い時からです。
9:22 霊は息子を殺そうとして、もう何度も火の中や水の中に投げ込みました。おできになるなら、わたしどもを憐れんでお助けください。」
9:23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」
9:24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
    
招きの詞マタイによる福音書9章9節~13節
9:9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
9:10 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。
9:12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
9:13 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」


 皆さま、お早うございます。藤波さん、孝多郎君、よく来て下さいました。この1年が神に守られて恙無くツツガナク過ごされますようにお祈り致します。先週は小谷先生の事を犬養先生がお話下さったのですが、私が一番心に残ったのが、(週報の後ろに掲載しました。)1970年に憲法が空文化される、変わって行く事を予言して居られる事です。憲法9条は絶対に守らなければならないと小谷先生がおっしゃった、またその様に感じて居られた、それを犬養先生も同じ聖書研究会で大事にして来られました。1968年にアメリカの原子力空母エンタープライズが初めて佐世保に来て、学生が激しく反対運動を展開しました。現在はあの頃の様な激しい学生運動や組合活動は見受けられませんが、それだけに状況はドンドン変わってきている事に注意しなければなりません。本当に平和を求める政治、格差の無い社会を作る政治を願いますが、今はその反対にしか動いていません。それをどうしたら留める事が出来るか、政治の問題は中々難しいですね。だからその事をずっと祈り続けなければなりません。今朝は「信仰からの解放」という題で、「信ずる者にはなんでもできる」とイエスが言われた事に反する様に思われますが、「信ずる者にはなんでもできる」と皆さんはそう思っておられますか。

 弟子たちも信じていました。イエスから力を受けたと信じていましたが、この子供から悪霊を追い出すことが出来ませんでした。だからお父さんは子供をイエスの所に連れて来ました。弟子たちはどうして自分たちには出来なかったのかと尋ねます。祈りが大事だという様な事をイエスは言われますが、じゃ、弟子たちは祈らなかったでしょうか。信じなかったでしょうか。そんな事は有り得ません。弟子たちも必死に祈ったし信じていたと思います。でも出来ませんでした。この問題を考えざるを得ません。私たちも大きな状況もそうですし、個人の状況も困った事など、中々自分の思い通りにはなりません。そんなに欲張った事では無いのに、体が上手く動かないとか、どうしてなのかと思わざるを得ない状況に私たちは居ると思います。祈りが足りないのか、信仰が足りないのか、どうなのでしょうか。そんな風に考える人居られますが、私は逆に信仰から解放されなさいという事が、この出来事の中には在るのではないかと思います。
 
 先週、お話下さった犬養先生はずっと筑豊の福吉で伝道されました。犬養先生ことは私よりも松岡さんの方がずっと良く分かっておられますが、先生は自分は筑豊に就職とかし献身したのだと言われます。1960年、昭和35年頃から日本は高度経済成長期に入り、所得倍増などといわれ産業が活発化します、それと同時にエネルギーの革命も起こったのです。それまで石炭を大量に消費して福高の基礎を作りましたが、ひどい公害問題も起こり、石炭から石油に変わりました。石炭産業は斜陽化し、さらに没落しました。それに取り残されたのが筑豊です。犬養先生は筑豊子供を守る会に根を下ろされて、1年間休学されて関わられ、大学に戻って卒論を書かれて、1年後に筑豊に戻って来られました。それから50年、ずっとそこで働いて来られました。初めの頃は同志社の神学部を出られて、福吉伝道所を作られて、そこからイエスを筑豊の貧しく苦しんでいる人たちに伝道して、救われて欲しいと一生懸命に働かれました。伝道所、即ち教会から出て行って伝道するという気持ちで活動されました。筑豊の人々を救うにはキリストしか無い、この状況を救うにはキリストしか無いと、一生懸命に伝道されました。生活のために時にはダンプの運転をしたり、素子夫人は幼稚園で働かれたりされながらずっと頑張って来られました。

 犬養先生には教会にキリストが居られて其処から伝道に出て行く、という図式があったのです。犬養先生はキリストの弟子でありキリストの使いなのです。キリストが働いて下さるその弟子として働く、筑豊の救われない人々の為に頑張るのだというお気持ちだったと思います。それがいつの間にかひっくり返されて仕舞われたのです。つまり教会にキリストが居られるのではなく、貧しい人や困っている人たちの所に、すでに犬養先生より先にその人々の所に居られるキリストに出遭われたのです。普通、教会にキリストが居られると多くの方々、またクリスチャンも多くの牧師も思っています。しかし私は以前から、ここにはイエスは居られない、イエスをお祀りはしていませんと申し上げています。キリストは皆さま方と共に居られ、この礼拝も皆さま方と共に来て下さるイエスをみんなで礼拝するのだと信じています。皆さまの日々生きる中にキリストは一緒に居て下さる、そのキリストが私たちを此処に導いて下さって、お互いにそのキリストを礼拝し讃美しようと集っていると信じます。

 犬養先生も福吉伝道所にキリストが居られるのではなくて、人々の只中に居られると思われる様になられました。例えばカネミ油症事件の被害者の紙野さんもおられました。神野さんの告白の中には、過眠さんが苦しくて痛くて悲しくて一人泣いて居たら、一緒に傍で泣いていて下さるイエスに出会われた事が語られています。犬養先生御自身は最後まで教会を否定はされませんでしたが、例えば、無教会とのつながりが出来られました。無教会の人々、先生方とも出会われました。高橋三郎先生や小谷純一先生方もそうです。犬養先生は今も教会からは離れておられません。紙野さんが教会から離れて行かれたりして、犬養先生も苦しい思いをしておられるのです。教会にキリストが居られて、皆さんは教会でキリストに出会って救われる、という事ではないという信仰に立っておられます。そこの玄関を入った所にアイヘンバーグのキリストが教会の炊き出しを待つ人々の中に立っておられる絵があります。犬養先生もそんなキリストを見られたのです。教会にだけ縛られたキリストではありません。犬養先生は筑豊でキリストの使いとして教会から出て行って働こうとされたけど、先に出て行って居られたキリストに出会われたのです。パウロもそうです。迫害される側に居られるキリストにパウロはひっくり返されました。

 今朝の悪霊に取りつかれた子供を弟子たちは直すことが出来ません。自分たちに力が在ると思っていたし、犬養先生も、パウロも思っていたでしょう。でもそうではないという事が起こりました。キリストの方が主なのです。私がキリストを信じているという思いが大事なのではなくて、本当にキリストと出会っているかどうかなのです。お父さんは必死にイエスの助けを求め「おできになるなら、お助け下さい」と言いますが、「信じる者にはなんでもできる」と言われて、いきなり「信じます!」と叫びます。何か信じなければならないとか、こちらが一生懸命信じ込む様な事ではなく、「出来事」なのです。イエスの言葉でお父さんは「信じます」と叫び ました。信仰は出来事なのです。自分の姿勢や思いで神を信じるとか信じないとか言いますが、キリストが起こして下さる出来事なのです。私が信じるとか信じないとかではなく、お父さんは「信じます!」と思わず叫んでしまいます。そして「信仰のない私をお助けください。」と言うのです。この出来事から、いわゆる「信仰」から解放されて、「信仰のない、私をお助け下さい」と祈る事を教えられ、これが私たちに出来る事だと思います。信仰が無い事をイエスに告白して、いつも信じている、また信じなければならないという思いから、イエスは私たちを解放して下さいます。


2月のスケジュール

2.4(日)主日礼拝:メッセージ 亀井良雄協力牧師
2.11(日)主日礼拝:メッセージ 亀井良雄協力牧師
2.18(日)主日礼拝:メッセージ 飛永孝(九州バプテスト神学校神学生)
2.25(日)主日礼拝:メッセージ 亀井良雄協力牧師



西福岡のぞみキリスト教会(伝道所)とは

〒819-1129 福岡県糸島市篠原西3-3-25  電話・FAX 092-324-5794
協力牧師 亀井 良雄

 のぞみ伝道所は城西教会の伝道所ですが、こちらから母教会をお願いして20年にはなります。
今私たちはサテライト伝道所という言葉で城西教会との関連を検討していますが、これ迄と異なってしまうのでしょうか。基本的には同じです。
バプテスト連盟内に於ける力学的な立場は変わりません。サテライトは「衛星」ですから、本体の引力圏にあります。母教会から離れては存在できません。離れると私たちはバプテスト連盟に留まる事、そして宗教法人として存在する事ができません。既に経済的に自立しても、無償の支援を受けているわけです。
 それでは、衛星は本体と一つかと言えば、別個の存在です。単なる従属体ではありません。
衛星には「遠心力」等が働いていて、本体から離れています。その「遠心力」とは何かと言えば、本体とは別の動機、目的、使命が在るという事です。伝道所を英語でミッションと言いますが、この語には「使命」の意味もあります。
通常は福音伝道を第一の目的にして、母教会から株分けの形で分かれて次第に教勢を大きくして、一個の独立した教会と成る事を使命にする集いです。母教会と伝道する地域、対象とする人々が異なる訳です。言い換えれば具体的な使命、ミッションを別にする事です。    
ところが、城西教会とのぞみの関係は出発点が違うのです。城西教会から出たのではなく、独自に出発したのぞみ伝道所が途中で母教会を城西教会にお願いしたわけで、しかもそれからかなりの年月が経ちました。
この間に城西教会からは全国支援拠開拓伝道の西部教会が自立しました。一方のぞみ伝道所は、現時点で教会組織をする教勢ではありません。
そこで今回、のぞみ伝道所が、母教会とは異なる具体的な自分たちの使命を自覚し、その達成のために働き努力する事で遠心力を生み出そうとする、それをサテライト伝道所と呼ぶ試みを提案しているのです。
母教会の城西教会から「無償の支援」を受けつつ、自前の使命・ミッションを具体化し、その実現に向けて努力する「集い」を目指す事です。
この際、以下のような具体的な「使命」を提案します。長期の使命というより、短期の時間の区切りの中でそれを考えました。
期間内で達成できなければ、継続するか、中止するか、その時点でのぞみ伝道所で先ず、決断し、その上で城西教会の了解を得るという手続きを踏みたいと思います。
とにかく、今出来る事から、先に一歩を進め、そこから私たちに出来るサテライト像が生まれて来ると思います。

使命の具体案
1.何人かの方々の信仰告白へ向けて努力する事
2.東日本大震災への義捐金拠出を継続する事(2015年度は半額をネパール大地震に献金しました。)長命ヶ丘教会を通して。
国際的にも、「国境無き医師団」と中村哲氏の「ペシャワール会」、さらに地元の特定非営利活動法人 わたしたちの高齢社会をつくる会(ケアサービス「徒然」)にも献金します。
現在クリスマス献金を送っている5か所に継続して献金する事、久山療育園、止揚学園、おにぎりの会、ともし火献金、東日本大震災(長命ヶ丘教会を通して)
3.久山療育園のための毎月の街頭募金への協力活動

「のぞみ」という名の由来」
  私たちは1994年5月から、無牧師になった周船寺伝道所を改名して歩み始めました。主イエス・キリストが私たちに「臨み」下さる事に私たちの「望み」があるとの信仰告白から、西福岡「のぞみ」キリスト伝道所と名付けました。


西福岡のぞみキリスト伝道所へのアクセス

〒819-1129 福岡県糸島市篠原西3-3-25  電話・FAX 092-324-5794

福岡市方面からは、202号バイパスを唐津方面へ有田中央交差点角

電車筑前前原駅南口下車 タクシー7分 送迎体制有り 電話連絡先 324-5794

詳細地図